谷中の路地裏に、一九六四年から同じ暖簾を。

東京・谷中 一九六四年創業

「ただいま」と
言える場所が、
東京にある。

谷中の細い路地に、六十年間、毎晩灯りをともしてきた小さな食堂があります。

Minoru Foods ── ひとりの米農家の夢と、ひとりの妻の約束から生まれた店。

国も、言葉も、生まれた時代も違う旅人たちが、今日もこの暖簾をくぐり、まるで故郷に帰ってきたような顔で席につきます。

一粒の約束から、
すべては始まりました。

新潟の小さな村で米をつくっていたみのるには、ひとつの夢がありました。「いつか東京で、腹をすかせた誰かに、腹いっぱいのぬくもりを届けたい」。これは、その夢が六十年をかけて実っていく物語です。

  1. 1964

    最後の収穫を背負って

    東京オリンピックに沸く秋、稔と妻の千代ちよは、村で最後に収穫した米袋を背負って上京しました。谷中の路地裏に開いたのは、カウンター八席だけの小さな店。屋号は、稔の名と、父が口ぐせにしていた言葉 ──「実るほど頭を垂れる稲穂かな」から。

  2. 1989

    もう一度、暖簾を

    稔が静かに旅立った冬。店を閉じようとした千代のもとへ、常連たちが一人、また一人と訪ねてきました。「ここがなくなったら、帰る場所がなくなる」。その夜、千代はひとりで、もう一度暖簾をかけました。

  3. 1998

    雨の夜の一冊

    雨宿りに飛び込んできた、ずぶ濡れの若い旅人。言葉はひとつも通じません。千代は黙ってタオルを渡し、湯気の立つ器をそっと差し出しました。翌朝、彼がカウンターに残していったのは、一冊のノートと、たどたどしい日本語の「ありがとう」。それが、最初の「想い出ノート」になりました。

  4. 2011

    灯りを消さなかった夜

    街が止まった、三月のあの日。電車が止まり、家に帰れなくなった人々のために、千代は朝まで暖簾を下ろしませんでした。見知らぬ人同士が肩を寄せ合ったあの夜のことを、今も覚えている常連は少なくありません。

  5. 今日

    三代目の暖簾

    いま店に立つのは、孫の美咲みさき。棚には四十七冊の想い出ノートが並び、四十を超える言語で「ありがとう」が綴られています。そして店の奥の小さな椅子には、今年八十六歳になる千代が座り、暖簾をくぐる一人ひとりに「おかえりなさい」と微笑みます。

「お腹を満たすだけなら、どこでもできる。うちは、心まで満ちて帰ってもらえる店でいたいの。」

── 千代

変わらないことを、
六十年、選び続けてきました。

頭を垂れる
実るほどに、謙虚に。どれほど多くの方に知っていただけるようになっても、八席の小さな食堂だったあの日の心を、私たちは忘れません。
一期一会
今日のお客様とは、今日しか出会えない。だからこそ、ひとつひとつの仕事に、ひと言ひと言に、心を込めます。
おかえりなさい
初めての方にも、二十年ぶりの方にも。暖簾をくぐった瞬間から、ここはあなたの帰る場所です。

言葉が通じなくても、
ぬくもりは伝わる。

Minoru Foods には、大きな看板も、派手な宣伝もありません。それでも毎日、地図を片手に、世界中から旅人がこの路地を探して歩いてきます。ガイドブックの名店としてではなく、「東京にある、もうひとつの家」として。

創業
1964
今も変わらぬ席数
8
想い出ノート
47
綴られた言語
40以上

棚に並ぶノートをめくれば、そこには国境を越えた物語があふれています。この店でプロポーズをした二人からの報告。亡き父と訪れた日を懐かしむ娘の手紙。二十年ぶりに、今度は自分の子どもの手を引いて戻ってきた旅人の言葉。次のページは、あなたの物語が綴られるのを待っています。

暖簾が揺れていたら、
それが合図です。

ご予約も、特別な準備もいりません。夕暮れの谷中、日暮里駅から「夕やけだんだん」を下りて、路地をひとつ曲がった先。藍色の暖簾が風に揺れていたら、どうぞ、そのままお入りください。

東京都台東区谷中 路地裏の八席

おかえりなさい。